公共機関で、トイレで、街中で、当たり前のように目にする「ピクトグラム」。

日常生活においてなくてはならない「ピクトグラム」ですが、いつ誰が考えたものなのでしょうか?
また、日本が発祥のピクトグラムも存在すると言われています。

ひと目見れば何があるかすぐわかるピクトグラムの歴史を紐解いてみましょう。

ピクトグラムとは?

ピクトグラム(pictogram)あるいはピクトグラフ(pictograph)は何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号の一つで、一般的には絵文字、絵単語と呼ばれています。
主に鉄道、駅、空港などの公共機関で使用され、文字や文章ではなく視覚的な図で表現することで、言語に制限されずに内容の伝達を直感的に行う事ができます。

もともと人類は、壁画や象形文字などで視覚的な図を使いコミュニケーションをとってきましたが、現在にあるシルエットのようなサインになったのは、1920年に統計学で使用するために作られたのがきっかけであると言われています。
当時はピクトグラムではなく「アイソタイプ」と呼ばれていましたが、統計学とグラフィックデザインを組み合わせる事により、経済動向を誰でもわかりやすくするために生み出されました。

現在目にしている「ピクトグラム」の形が世に広まったのは1964年以降で、そのきっかけは日本で開催された東京オリンピックでした。

ピクトグラムが日本発祥と言われるのは東京オリンピックがきっかけ

当時の日本人の英語力では、日本に来た外国人と十分なコミュニケーションをとれる状態ではなかったため、「誰が見てもわかるマークを作ろう」と第一線で活躍するデザイナーを終結させ考案されたのが、オリンピック競技種目や食堂などのピクトグラムです。

その種類はオリンピック競技なども含めて約39種類。
デザイナーたちが「社会に還元すべき」と著作権を持たなかったため、便利なピクトグラムは東京オリンピックをきっかけに世界中に発信されたのです。

ちなみにいまでは世界中どこでも見かける「トイレ」のピクトグラムですが、男女だけのアイコンが「トイレ」と認識されるまでには年数を要し、一般的になったのは1970年の大阪万博からと言われています。
ピクトグラムは高度成長期での大きな二つのイベントに深く関わっていたのです。

非常口のピクトグラムは火災がきっかけで生まれた

ピクトグラムと言えば緑色の「非常口」が世界的にもポピュラーですが、この非常口のピクトグラムが生まれたきっかけは、1973年の熊本デパート火災でした。
その前年にも関西でデパート火災があり、消防法が見直しされる過程で緑色の非常口が誕生したと言われています。

赤い炎の中では緑が一番映える色であり、「ここを通って逃げてください」という指示がひと目でわかるようになっている素晴らしいデザインのため、非常口はピクトグラムのお手本とまで言われるようになりました。

近年では災害が続いて、水害や津波、土砂崩れなどを示すピクトグラムも見直され、よりわかりやすく改善されている傾向にあります。
このようにピクトグラムが誕生する背景には、事件や災害などがきっかけとなるケースは非常に多いのです。

1964年の東京オリンピックがきっかけに広まったピクトグラムですが、2020年の東京オリンピックに向けてさらなる進化を遂げようとしています。
自分の身近にあるピクトグラムに何か変化があったら、ちょっとだけ歴史が動いたと思ってみるのも楽しいかもしれません。